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最高裁判所第一小法廷 昭和23年(れ)370号 判決 1948年7月29日

主文

本件上告を棄却する。

理由

辯護人菊地哲春上告趣意第一點及び第三點について。

所謂賭博常習者とは賭博を反覆累行する習癖あるものをいうのであって、必ずしも博徒又は遊人の類のみを指稱するものではない。原判決によれば、原審は被告人が賭博罪で八幡浜區裁判所において昭和一八年四月一六日罰金六〇圓に、同年一一月六日罰金一五〇圓に、昭和二一年二月二三日罰金八〇〇圓に、各處斷せられ更に昭和二二年八月二七日本件賭博罪を犯したという事跡に鑑み、被告人を賭博常習者と認定したものである。かように比較的長くない年月の間に繰返し賭博罪で處罰され、今又本件賭博罪を犯したという事実に基いて、被告人に賭博を反覆累行する習癖があると推斷することは、必ずしも首肯するに難からぬところである。論旨は「若し賭博前科の度數のみによって賭博の常習性を認定し得るものとすれば、被告人に比し前科度數僅に一回しか少くない原審相被告人城戸數衛も亦賭博常習者と認定せられなければならない筈である。然るに原審は彼を單純賭博罪を以て律し、被告人を常習賭博を以て問擬したのである。これはその認定の基準が一貫性を欠如するためであり、結局原審の被告人に對する右認定が実驗法則に背反することを反映するものである」と主張するのである(論旨第一點)。しかし原審が被告人を賭博常習者と認定したのは、賭博前科の度數のみに基いたのではなく、前科とその時間的關係を斟酌した結果によるものであることは前説示の通りであり、又原審が相被告人城戸數衛を賭博常習者と認定しなかったのは、事実審として同人に對する被告事件を審理しその全貌を通觀衡量した結果によるもので、その認定の基礎となった諸般の事情は必ずしも被告人のそれと同一であったとはいゝ得ないのであるから、同人に對し賭博常習を認めず被告人に對しこれを認めたからといって、その認定の基準に彼此一貫性を欠くと速斷することはできないのであって、しかも被告人に對する原審認定の首肯せられ得べきことは、前説示のとおりであって、何等実驗法則に違反するところはない。尤も共同被告人に對する裁判が各被告人相互の關係において、事実の認定又は量刑上權衡を失し不公平な結果を來たすことは、固より好ましくないことではあるが、假りにさような事があったとしても、この一事を促えて直ちにその裁判を憲法第三七條第一項に違反するものである(論旨第三點)とはいゝ得ない。蓋し同條項に所謂「公平な裁判所の裁判」とは、構成その他において偏頗の惧なき裁判所の裁判を意味するのであって(最高裁判所昭和二二年(れ)第一七一號事件昭和二三年五月五日大法廷判決參照)、憲法は同條項において、所論のように各具體的事件につき直接裁判の内容そのものゝ公平を保障したものと解すべきではないからである。論旨はいづれも理由ないものである。

同上二點について。

しかし、刑訴第三六〇條第二項に所謂「法律上犯罪ノ成立ヲ阻却スヘキ原由……タル事実上ノ主張」とは、犯罪構成要件に關しない事実でしかもその存在が法律上當然に犯罪の成立を阻却すべきものを主張することを意味するのであって、犯罪構成要件である事実そのものに關する法律上の見解を陳述することは、これに該當しないのである。然るに所論辯護人が原審において爲したという主張なるものは、畢竟常習賭博罪の構成要件それ自體について、獨自の見解を披瀝したに過ぎないものであるから、原判決が特に右主張に對する判斷を明示しなかったとしても刑訴第三六〇條第二項に違反するとはいゝ得ないのである。しかも原審は、右辯護人の見解に賛同せず被告人を賭博常習者と認定したものであることは判文上明らかであって該認定の正當なことは、前論旨につき説明したとおりである。本論旨も亦理由がない。

よって刑訴第四四六條に從い主文のとおり判決する。

この判決は裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 真野毅 裁判官 齋藤悠輔)

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